勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2007年03月

メディアの時代

これまでお話ししてきたこと

これまで情報の伝わり方についての研究と、はじめに僕の研究について説明していただいていましたが、最終回の本日は「では、メディア論って何?それのいったいどこが役に立つの」という視点からメディア論の説明をさせていただきたいと思います。

メディアとは何か

メディアというのミディアムという英語複数形(いわゆる不規則変化というやつ)というと、これでメディアの基本的なとらえ方がわかります。これは我々の日常でもよく使われている言葉だからです。たとえばあなたのTシャツの首のところにあるマ-クの一つがこれ。つまりS、M、LのMがミディアムのM。それからステ-キの焼き方。レア、ミディアム、ウエルダムのミディアムですよね。つまりメディアというのは「真ん中」という意味。「真ん中」ということは二つの間の中間という意味も。

そして、さらにそこから派生してメディアとは情報を取り持つものと言うことになります。情報を伝達可能なもの、情報を取り持つことの出来るものならすべてメディアなのです。たとえば、今僕は皆さんにお話しさせていただいてますが、このとき、音声、日本語、そしてラジオ放送が僕の情報を皆さんに伝達するメディアと言うことになります。もちろん文字、絵、テレビ、ラジオ、雑誌、電子メディアも情報を取り持つものですからメディア。ちなみにテレビ、ラジオのような大量の情報を伝達するようなメディアをマスメディアといいます。

で、こういった情報伝達手段としてのメディアは、得てしてあんまり大事じゃないと思われがち。どっちかと言えばメディアよりメディアによって伝えられる情報の方が肝心というのが一般的な考え方。だから情報が伝わるのであるのならばメディアは何でもかまわないというふうに、しばしば私たちは考えます。

メディアが大切なわけ

でも、考えてみてください。情報を伝えるときにメディアが違えば伝わり方が全然違っていると言うことはごくごくあたりまえです。そしてわれわれは無意識のうちに、これを使い分けています。たとえば、ラジオでお話をする際、その第一声が「こんばんわ」であるとします。これ、ト-ンをかえれば全く情報は別のものになってしまいます。この場合は、ト-ンが情報を伝えるメディアと謂うことになります。また、公式のお願いは絶対に文書ですが、親密な人間同士で文書なんか交わしません。彼女とコミュニケ-ションするならメ-ルだけでなく、口頭で直接告げるなんてやり方もします。それから愛の言葉をささやくならば電話がイイ。なぜかって?電話は耳元でささやいているのと同じ効果があるからです。

メディアの時代

ただし、これまでこういったメディアを使いわけた情報の伝え方はまがい物っぽい言い方がよくされていました。本当に大切なのは情報であって、メディアはそれを伝えるための手段に過ぎない、というわけですね。ところが情報化時代は、こういったものの謂いが必ずしも通用しない時代となっているのです。それはなぜなのでしょう。

それは情報が必ずしも正確に伝わらないという感覚が、私たちの認識の中で一般化しているからです。わかりやすいように、今から四十年くらい前の高度経済成長時代を振り返ってみましょう。この時代は、今と違って、国民全体が共通の認識を持っていた時代でした。具体的には高度経済成長神話といわれる「みんながんばって働こう。そうすれば人も国家もみんな豊かになって、幸せになれる」という考え方です。だから当時の人たちは一生懸命働くことに動機があった。ようするに価値観がかなり一元化されていたわけですね。

ところが情報化が進むとそういうわけにはいかなくなります。人々は自分の欲望に合わせて、あちこちから情報を入手するようになる。ということは一つの情報がみんなに共有されなくなってしまう。つまり、ある人にとっては真実で絶対に見える情報でも、他の人にはそうでないというのが一般化してしまうんですね。

また個人の中でもそういう認識は一般化していきます。自分の持っている情報が、あまり信じられないということが起きているわけです。

信じられるのは「見た目」

こうやって情報がおぼつかないものになると、むしろリアルに思えるのはメディア、つまり情報よりも情報を伝える方法ということになります。つまり中身よりも手触りの気持ちよさみたいなところに親密性を感じるようになる。そこでメディアの機能が注目されるというわけです。つまり、本来の内容が信頼できない分、パフォ-マンスがいちばんの魅力となってくる。

エレクトリック・マイルスをどう聴くか

さて、このエレクトリック・マイルス。どう聴けばいいのだろう。

とりあえず、ここでは三十年間聞き続けている僕の聴き方をご披露しておこう。ただし、これに一般性があるかどうかはわからないことはおことわりしておく。

とにかく大音量で、全身全霊をかけて聴くこと、これにつきる。残念ながらこれをBGMにすることは到底、できない。というかBGMにするには悪趣味。うるさくって、気になって仕事がはかどらないどころか、仕事の妨げになる。だからとにかく集中する環境を作ることだ。出来れば真っ暗な部屋で大音量というのがベストだ。住宅環境が許さない場合には、高級ヘッドフォンを使うというのも手だろう。ちなみに、このサウンドにもっとも似つかわしくないオ-ディオ機器はiPodだ。

次に、全部を聴こうとは思うな。集中が切れたらやめろ。ただし聴いている間は集中しろ。そして勝手に意味づけろ。ちなみに、一生懸命聴いているウチにメンバ-のノリ(ノリノリも、まったくノッっていないのも両方)がわかってくる。そしてマイルスという人間が集合無意識を形成しようとしながら、実に金正日であること、つまり独裁的に自己中心的にサウンドを突き詰めていることがわかってくる。

で、百回ほど聴けば長い曲でもパタ-ンがつかめてくる。というか身体化してくる。ただし二百回聴くともう少し身体化は深まる。さらに三百、四百とくりかえすと……かなり面白くなってくる。なんのことはない。これって、自分がマイルスメンバ-の一人になって共時性を獲得しているだけなのだが。

で、こんなやりかたを続けていくとエレクトリック・マイルスはわかってくる。「わかってくる」というのは実は間違い、一体化するのである。で、これがもうキモチイイという体調の変容をもたらす。ちなみに、僕がこれを心地よく聴いている時、ウチの学生が僕に向けてしてくれたコメントは「先生、悪趣味ですね」であった。その通り、これは悪趣味以外の何物でもないのである。でも、それでいいのである。

でも、こういう風な聴き方って、ほとんど宗教に近いような気もする。つまりわけがわかんないけど、毎日拝んでいるとわかったような気がして、ありがたみが出てくる。で、もって「あばたもえくぼ」に見えるような心性が構築されていく。

だから、エレクトリック・マイルスに惚れ込んでいるリスナ-は、実はマイルスという詐欺師にだまされているのかもしれないのである。悪趣味な、聴くに堪えないような音楽に、屁理屈つけてわかったようなフリをする。でも、実はよくわからない。でも、自分がわかっているということを確証したいが故にレコ-ド・CDをかけ続けるのである。時に、そんな風に思ってしまうこともある。

ただし、こちらの願望は別だ。本音を漏らせばこうなる。


「そう、マイルスは詐欺師かもしれない。でもかまわない。で、できるなら、頼むから死ぬまで自分をだまし続ける詐欺師であって欲しい」


今のところ、マイルスのトリック=詐欺に僕はまだだまされて続けている。そしてそのトリックから抜け出せていない。そして、聴くたびに、そこに新しい発見をし続けている。マイルス。ああ!(今、またウチの学生がアガルタを聴いて「気持ち悪い」と叫んだ)

自由度を限りなく広げていくと……

マイルスは既存のジャズスタイルを放棄しただけでなく、楽曲の形式にこだわることすらやめはじめる。もはやそこには起承転結すらなく、テ-マらしきものが最初流れたら、あとは全員でヨ-イドンよろしく、ひたすらそれぞれがアドリブをはじめるのだ。着地点はその時点で、もう見えない。どうやったら終わるのか。それはマイルスが手を挙げてやめることを指示したときだ。それまでこの共時性をめざした熱狂は延々続くのだ。だから、スタジオ・セッションもライブももう関係なく、ただただ続く。また曲というのはそういったものが続いた記録、痕跡として録音されたものを指すようになる。だからタイトルだって、もうどうでもいい。実際タイトルはムトゥ-メ、ビリ-・プレストン、マイシャ、ジャック・ジョンソンなどの知り合いや有名人の名前を適当につけたものまで登場する。いうならばタイトルと曲の関係は一切と言っていいほどない。単なる日付や番号でもかまわないのである。

さて、こうやって集団トランスの一丸となったサウンドめざして突き進んでいったエレクトリック・マイルス・ユニット。その到達点が75年、日本で行われたライブ二枚組二セット、アガルタとパンゲアである。ここでは体力勝負とばかりにメンバ-たちのアドリブ合戦というか熱狂が延々続けられる。それはマイルスがねらった通り、一丸のサウンドとなっていたはずなのだが……これを最後にマイルスは一切の活動を休止し、沈黙する。それは、この方法論の限界が訪れたからだろう。

マイルスが求めていた共時性とはなんだったのか。それはグル-プ一体となったサウンドの固まりを放出するという集合無意識的な活動であったはずだ。それはある程度実現した。しかし、結果として彼が求めたのがマイルス・;サウンドだったのが最大のデッドロックだった。つまり、それぞれの個性が解け合ってひとつの集合無意識サウンドを作り上げることではなく、マイルスの考えるサウンドをグル-プ一体で実現するということだったのだ。言い換えればそれはメンバ-全員をマイルス化するという、独裁者的な発想でもあった。

しかしそんなことが可能なはずはない。可能になるためには自らのコピ-を作るしかない。つまり、メンバ-全員マイルスと同じだけの賢さとテクニックを備えた人間にすること。それは無謀な企てだ。マイルスみたいになれる人間なんて存在するはずがない。メンバ-たちはマイルスの要請に応えようとボクシングまでつきあってはみたものの、結局右往左往するのが関の山。ライブでもとにかくわけもわからずアドリブを繰り返し、マイルスが手を挙げて「やめ」の合図をするまでこの荒行、苦行を続けなければならない。メンバ-を外れたハ-ビ-・ハンコックはこのメンバ-たちを「マイルスの意図がよくわかっていない」と半ば嫉妬気味に批判していたが、実際その通りだった。(もっとも、それはハ-ビ-だって無理だったろう。そのためにはマイルスになるしかないのだから。それはマイルス以外には不可能なことだ)。

このとまどいは完成形であるアガルタ、パンゲアでも踏襲されている。もうわけがわからない。だから、強いビ-トに乗っけてイケイケ、ドンドンでやるしかない。逆に言えばテンポが速い曲はこの「イケドン」状態で、それなりの一体感を確保できていたのだが、スロ-なテンポなチュ-ンになった瞬間、サウンド全体の統一性は崩壊し迷走をはじめる。

マイルスがやった大いなる実験。それはさながらボクシングを単なる殴り合いにして状態で、これをスポ-ツとして成立させるためにはどうしたらいいだろうかという、ル-ルなきル-ルの模索であった。そしてその解決策はたったひとつだけ残されていた。それは、全員がマイルスになることだ。当然、それは絶対に不可能であることを意味するものでしかない。

アガルタ、パンゲアの後、体調を悪くしたこともあって五年間にわたってマイルスは演奏を止めメディアに顔を出すこともしなくなる(かろうじて様子を知ることが出来たのはTDKのカセットテ-プADのCMくらいだった)。そして80年、再びマイルスが活動を開始したとき、彼はこの実験とは全く異なったサウンドで登場するのである。それはエレクトリックではあるがきわめてポップなわかりやすいサウンド。そしてメンバ-もマ-カス・ミラ-のようなテクニシャンをひっさげて。評論家の中には「マイルスは終わった」と断言するものも現れた。だがそのポップなサウンドは紛れもなくマイルスのそれであり、超一流のものであることには違いはなかったのだが……。(続く)

I

ビッチズ・ブリュ-にはじまり、アガルタ・パンゲアを到達点とするマイルスの壮大な実験

マイルスはエレクトリックを用いることで何をしようとしていたのか。その僕なりの答えは「サウンドにおける共時性=シンクロネシティの獲得」である。彼はフリ-には決して足を踏み入れることはなかった。が、別の方法でミュ-ジシャンとサウンドを解放させるという実験を企てた。これは「解放」なのだがら、彼なりのフリ-ということになる。これは何か。

まずミュ-ジシャンとの共時性の獲得である。モ-ドジャズの時代、ある程度共時性は獲得できていた。たとえば60年代半ばからのハンコック、ロン・カ-タ-、トニ-・ウイリアムズ、ウエイン・ショ-タ-によるクインテット時代にはモ-ドスタイルを踏襲する中で、それぞれのメンバ-がかなり自由にアドリブを展開することが可能になっていた。要するにテ-マを最初と最後にやったら、あとはほとんど自由というスタイル。順番にソロ(当然一番目はマイルスで、最後もマイルスというのがほとんど)をとり、そのソロに合わせて他のメンバ-がリズムやコ-ドをキ-プする。これを順繰りにやるのだが、それぞれのメンバ-がおそろしいほどのテクニシャンであったため、かなり「あうんの呼吸」でアンサンブルを奏でることが出来たのだ。ちなみにこの完成形は「ライブ・アット・プラッグドニッケル」で聴くことが出来る。もうこれ以上ないというほどのモ-ドの完成した姿がここにはある。またその十年後に結成されたVSOPのライブも同様の完成度を誇ってる(ただしこちらは慣れきっていて緊張感に少々欠ける嫌いあり)

だったらこのスタイルをそのまま踏襲すればよいだけの話なのだが、マイルスはそうはしなかった。このスタイルが飽き足らなかったのだ。

問題は結局、ソロに演奏の多くをゆだねてしまうというところにあった。つまり、ソロが展開されているときにはパフォ-マンスにおいて主従の関係が形成される。ソロイストが主役、あとは脇役でサウンド・キ-プである。これが気に入らない。要するにモ-ドの近代性、個人が優先されるところがマイルスの求めるサウンドの本質とは合致しなかったのである。もっと全員がソロを取る、全員で瞬間的に、アドリブで、継続的にアンサンブルを奏でる。言い換えれば、個人のテクニックというよりも、全員がトランス状態の中で一体となってサウンドの渦を作り上げる。その際、個人の技量は共時性の中に埋没して全体を構成する要素として完全にとけ込まなければならない。

強いて表現するならばマイルスはバリのケチャ・ダンスにおける集団トランス状態が、結果として一丸となったサウンドを紡ぎ出すような状態が作りたかったのではないか。そしてそのためには、個性あふれるテクニシャンなどは個が際だちすぎて使い物にならない。

そこでメンバ-を解散してしまい、全く新しいスタッフ、しかもエレクトリックを用いた人材、しかも若手を採用した。はじめた当初こそジョン・マクラフリンのような当代きってのギタ-・プレイヤ-を起用していたが、途中からはこの集団トランスに馴染むような、言い換えれば手なずけやすい人材をメンバ-に組み入れるようになる。ソニ-・フォ-チュン、ピ-ト・コ-ジ-、レジ-・ル-カス、マイケル・ヘンダ-ソン、アル・フォスタ-といった、当時は無名に近いミュ-ジシャンたち(現在ではビッグネ-ムです。あしからず)。このメンバ-を徹底的に鍛えはじめるのだ。なんのために。それは一体となるために他ならない。

マイルスはしつこいほどこのメンバ-とセッションを繰り返す。何度も何度も繰り返す中で、相互に動きを身体的に取り込み共振しようと考えたのだ。つまり意識的でなく、相互が無意識のうちに自動的に反応するというスタイルだ。単にセッションだけではない。マイルスがやっていたボクシングにもメンバ-を呼びつけ、おなじようにボクシングトレ-ニングを強制する。また当時マイルスが傾倒していた現代音楽、とりわけシュトックハウゼンの理論などの学習も強制した。つまり、日常生活の中で同じリズムをつかむこと。これがサウンドを一体化させる手段であったからだ。(続く)

エレクトリック・マイルスの誕生

マイルスはジャズ界の帝王、あるいはジャズ界のピカソとも呼ばれてきた。常に変容し続けること、これが彼にとってのジャズに対するスタンスだった。だからハ-ドバップ、ク-ル、モ-ド、と50年代から60年代にかけて、最先端のジャズスタイルを開拓し、60年代前半には、すでにジャズ界ナンバ-・ワン、ア-ティストの地位を築いていた。

だが、マイルスは既存のジャズ・スタイルには飽きたらず、新しい方向へ関心を示し始める。それがエレクトリックであった。ここでエレクトリックというのが電気による増幅を行う楽器のこと。簡単に言えばエレクトリック・ギタ-やベ-スなどがこれに該当する。ロ-ズ・ピアノなんかもこれに含まれるだろう。こういったものに関心を持ち始めるのである。

時代はロックに傾いており、この頃はビ-トルズ、ロ-リング・スト-ンズ、ビ-チ・ボ-イズなどが音楽界を席捲。いうまでもなくロックにおいて楽器の基調はこういったエレクトリック楽器だった。

一方、当時のジャズもその方向が見えない状況にあった。モ-ド・ジャズの後、隘路に落ち込んでしまったジャズのスタイル。何とかその突破口を開こうと、多くのミュ-ジシャンが模索をしていた時期だ。たとえばジョン・コルトレ-ンはテクニックを徹底させたあげく、フリ-という、テ-マも何もないような方法をやり始める。コルトレ-ンはその直後急逝するが、そのほかにもセシル・テイラ-、オ-ネット・コ-ルマンなどがフリ-の領域に突入していった。

しかし、フリ-は所詮、フリ-である。それは方法論を破棄したという意味でもあり、その先には何もないのは見えていた。そんなときマイルスが思いついたのがエレクトリックの導入だった。当時、ジャズ界でエレクトリックを導入することは邪道とみなされていた。電気による音の増幅は、楽器そのものの表現力を無視しているというのがその理由だが、もうひとつはジャズがあくまでア-トと見なされていたこともある。(もっとも、ア-ト化したために、50年代末には音楽のメイン・ストリ-ムから引きずり下ろされてしまったのだが)。一方、エレクトリックを中心に扱うロックは商業主義と強く結びついている。実際、当時エレクトリックを導入したミュ-ジシャン(ドナルド・バ-ドやデオダ-ト、ラロ・シフリンなど)はきわめて商業主義的なサウンドを志向していたしていたし、実際音楽ビジネスという感覚が強かったことも確かだ。そういった点でもジャズがエレクトリックを使用するのはタブ-だったのだ。だから、こういったミュ-ジシャンたちはジャズ「ア-チスト」たちからは「カネもうけのために音楽をやっている」と誹謗中傷を受ける。70年代後半フュ-ジョンという電気楽器を多用したイ-ジ-リスニング的な曲作りで一躍メジャ-となった渡辺貞夫も、この当時はエレクトリック・ミュ-ジック(当初*クロス・オ-バ-*と呼ばれていた)をけちょんけちょんに批判していた。

ところがである。ジャズ界の帝王、マイルスがエレクトリックに手をつけてしまったのである。もはやマイルスはジャズ界の圧倒的な権威。マイルスのグル-プに所属することは、その後のメイン・ストリ-ムでの活躍を保証されたようなものであったほど(マイルスの結成するグル-プは別名「マイルス・スク-ル」と呼ばれていた。つまり、参加を許されたミュ-ジシャンはマイルス先生の生徒ということになる)。実際、彼のもとからはコルトレ-ン、ハ-ビ-・ハンコック、ウエイン・ショ-タ-、ジョ-・ザヴィヌル、チック・コリア、キ-ス・ジャレットといったモダンジャズの歴史を形成していったミュ-ジシャンが排出されていった。その権威がエレクトリックに手を染めたとなったら、これまでのようにエレクトリックを無碍にするわけにもいかなくなる。そして、マイルスがやる限り、それを否定することは出来なくなる。こうしてジャズ界にエレクトリックが一挙に導入されることになったのだ。

マイルスのエレクトリックへの関心のきっかけはビ-トルズとスライ&ファミリ-スト-ンであったといわれる。とりわけスライの影響が強いと呼ばれている。

ただし、マイルスが突入していったエレクトリックは単なるロック的な要素の導入ではない。むしろ、自分なりにフリ-に対する回答を与えようとした感があったと僕は思う。それが、ここでいうとろころのマイルス風エレクトリック、「チャカポコ」ミュ-ジックというスタイルを産んでいくことになるのだ。(続く)

↑このページのトップヘ