こうなるとネットの機能は完全に専門雑誌とバッティングしてしまう。だが速さとコストの安さ、そして情報の詳細さでは圧倒的にネットの勝ちである。ネットで足らない情報でさえもネット経由で本を購入すればいい。ということは、これらの点で専門雑誌は全く太刀打ちは全く出来ない。だから専門雑誌の負けとなった。そして、さらに敗走を続けているといったのが現状だろう。
以上、雑誌の栄枯盛衰をまとめておこう。雑誌は総合誌として人々のアイデンティファイする対象であったものが、嗜好の多様化によって次第に細分化された専門雑誌となっていったが、インタ-ネットの検索機能の充実に伴って多様性への対応の機能も奪われ、その存在自体が怪しい状況にある。だから雑誌はこれからますます衰退していくことになる。
雑誌以外の出版物は依然、好況
ただし、これは出版物の内、雑誌に該当する事態であり、その他の出版物についてはこの図式は必ずしもあってはまらない。雑誌以外の出版物は本というものが物理的媒体=メディアであることの利点を生かすことによって存続し続ける。いや、これまで以上に活況を呈することもありうる。メディアというのは新しいメディアの出現によって消滅することもあるが、機能を変容させて生き続けることもあるからだ(たとえば映画はその典型。いったんはテレビによってその存在を奪われたが、大型化、シネコン化などによって新しい機能を付与され、再び活況を呈しつつある)。つまり出版物もまた、バッティングする可能性のあるメディアであるインタ-ネット=電子空間の物理的媒体を持たない媒体=メディアのデメリットにつけ込むとともに、そのメディア性をネットとバッティングしない部分に特化させたメディアに変容させることで十分生き残る可能性は高い。実際、そういったことを踏まえて今、展開されていることの一つが新書の創刊ラッシュだ。つまり検索の末、出してきたデ-タをじっくり読みたい。そういったときにディスプレイ上に文字を表示する電子メディアというのは目が疲れる。かといって印刷するのもおっくうだ。だったら本で読みましょうということになるからだ。ネット上の検索は、あくまでも断片化されたデ-タを拾い集めるというのが基本。長い話は原則的に嫌われる。
またマニュアルやガイドも出版物としては利便性の高い存在だ。たとえばパソコンのソフトウエアの使い方を覚えたいとき、あなたはディスプレイ上のマニュアルやヘルプ機能を使うだろうか?まず、使わないだろう。やっぱりこれも見づらいからだ。だから手っ取り早くまとめた取扱説明書の本を紐解くことになる。また旅行ガイドの場合、これは旅先に持ち歩かなければならない。パソコンを持って歩くのは、こりゃ面倒だ(もっともケ-タイで簡単に調べることが出来るようになれば話は別だが)。
要するに、今後雑誌が生き残る場所は、ネットの持たない「物質としてのメディア」の特性を生かす点にあるのである。(次回からはテ-マの本筋、マンガの衰退をお送りします)