勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2006年12月

東京ディズニーランド以前、日本でディズニーはどう受け入れられていたか


六十年代前半、ディズニーは、結構知られていた。


戦後、日本には大量のディズニー作品が流れ込んでくる。もちろん映画を上映するというかたちをとって。ただし、人口に膾炙するのは60年代、アメリカテレビ局ABCの番組"Disneyland"が放映されたことに端を発すると言っていいだろう。金曜夜八時、日本テレビ、三菱電機提供でこの番組は放映されていた。僕は1960年生まれだが、この番組がとても待ち遠しかったことをよく記憶している。ただし、この番組は全日本プロレス(馬場、猪木が在籍していた)の番組とも重なっており、隔週でプロレスとディズニーが放映されていた(もう少し厳密に言うと、これに野球中継が加わると、ディズニーランドは月一回ということもあった)。

ただし、年齢も低いゆえ、その作品内容についてはほとんど覚えていない。ただ、オープニングの眠れる森の美女の城(ディズニーのトレードマーク)に、ティンカーベルが飛んでくるところ、続いて、書斎があらわれウォルトが現れ作品の紹介をするところだけははっきりと記憶している。いちばんよく覚えているのは、番組がはじまっていつものようにウォルトが登場してきたとき、下にテロップが流れ「○月×日。ウォルトディズニー氏が亡くなりました」と表示された時だ。66年のことだが、とにかく一瞬ボーゼンとしてしまった。もっとも、なぜそうなったのかは記憶にない。そして、まもなく、この番組も放映が終了された。

ディズニー映画については、かつての作品がちょくちょく上映されていた。大作一本(例えばバンビやピーターパン)とミッキーやドナルドが主演する五分もののセット上映だったように思う。これらには必ずと言っていいほど「文部省推薦」と銘が打たれていた。当時はゴジラやガメラなんて怪獣ものは絶対文部省が推薦することはなかった。いや、たとえば後に日本アニメの名作といわれた「長靴をはいた猫」ですら文部省が推薦することはなかったのだが、なぜかディズニー作品だけはOKだったのだ(完全にアメリカ翼賛体制だったからか?)。だから「教育上よろしい」と言うことになって、親が安心して子どもを映画館に連れて行くことが出来た。で、僕も親に連れられていくのは必ずと言っていいほどディズニーだった。ただし、子どもとしてはもうゴジラやガメラが見たいわけで、友だちと行くならこっち、親と行くならディズニーだった。

また、講談社はディズニーのアニメをそのまま絵本にしてシリーズとして発売していた。映画やディズニーランドで放映された作品のセル画で構成された絵本は、その他に歌の歌詞や楽譜、ディズニーキャラクターの小話で構成されていた。一例として『みにくいアヒルの子』の構成を見れば、本編の他にドナルドの小話が掲載され、表紙の裏側には壺井栄(『二十四の瞳』の作者)の推薦文が坪井の写真入りで載っていた。また巻末にはカラー写真でディズニーランドが紹介され「いけたらいいね」というコピーが施されていた。そう、当時、ディズニーランドなどは日本人には決して行けるようなところではなかった。海外に出かける日本人など1万にもいない時代だったからだ。だからこそ「いけたらいいね」というコピーは、子供心にグサリと胸に突き刺さったと同時に、アメリカという消費大国のリッチな暮らしに妙な妄想を抱いたりもしたのだった。

忘れ去られていくディズニー

しかし、その後ディズニーは日本人の記憶、とりわけ子どもの記憶、そして経験からは姿を消していく。ディズニー自体もウォルト死後、アニメ作品を作ることを減らしていき、70年代以降にはほとんどアニメを作らないという状態に(80年代初頭になってやっとオリジナル作品『きつねと猟犬』を制作。しかしこれは日本ではピーターパンとの二本立て。しかも単館上映(有楽町みゆき座)だった)。むしろ70年大日本で人気を博したアメリカのキャラクターはスヌーピーを中心としたピーナッツだった(ツルコミック社が、月刊誌「SNOOPY」を発行している)。そして日本でもサンリオがハロー・キティをデビューさせている。

これはアメリカでも同様で、70年、フロリダにウォルトディズニー・ワールドをオープンしたのはいいが、ディズニー的世界それ自体はオールドファッションとして扱われていた。ニューシネマの時代。現実が複雑化する時代。脳天気なディズニー作品など、見ている場合ではないというムードがアメリカにも蔓延するのだ。ディズニーの価値が再び認められるようになるのは70年代半ばルーカスやスピルバーグが登場しディズニーをリスペクトして以降だ。ただし、スピルバーグとてディズニー作品はオールドファッションなものとして扱うようなシーンを映画の中に盛り込んでいる。76年のスピルバーグ作品『未知との遭遇』の中でR.ドレイファス演じる父親が子どもたちの前でピノキオを絶賛すると、子どもたちがノーを突きつるシーンがあったり、『1941』では、ダンボに涙する軍の長官が登場したり。

子ども時代にディズニーに親しんだ60年前後生まれの子どもたちも、次第にディズニーは記憶の片隅にやられ、また後続世代はディズニーのことをほとんど知らない。そんな、もはや「ディズニーなど知らない」状況の中、東京ディズニーランドはオープンする。

なんだかんだで関わり続けた24年間

82年、浦安に移り住み、翌年オープンしたことで、なんだかんだと長きに渡り関わり合いを続けてきた東京ディズニーランド。初年度はオープニング・キャストとしてアトラクション、グランドサーキット・レースウェイで働き、彼女(現カミさん)をデートに誘い、その後、アトラクションやレストランがオープンするたびに出かけ、ショーが変わるたびに出かけ、年パス買ってヒマつぶしに出かけ(仕事をするのがイヤで、気分転換にラッキー・ナゲット・カフェにパソコンもって作業をしに行ったことがあった。これじゃ傍目からは完全にオタクと思われただろうなあ。ちなみに、この時、パソコンをカタカタ叩いている自分の肩を突然揉まれた。揉んでいたのはグーフィだった)……。都合300回くらいは遊びに行っているのかなあ?大学の講義すべてをディズニーだけでやってみたりもした。

気がつけばあっという間に24年。こっちの年齢も四十代。

で、今回は年末年始特集?として、東京ディズニーランド(そして東京ディズニーリゾートも含めて)の24年をメディア論的な視点から振り返ってみたい。

しかしその前に、ディズニーランドがやってくる前、日本でディズニーがどうやって受け入れられていたのかについて考えてみたい。ただし以降の文面は、あくまでも僕が個人的に調べたもの、そして個人的な経験によるものの二つに拠っていることをお断りしておく。だから正確性については、やや怪しいと言うことを踏まえておいてもらいたい。(続く、次回はディズニーランド以前からランドオープンまで)

オタク的心性に適合的なディズニー世界

オタクに共通する特徴は、一般的にはコミュニケーション不全である。つまり、他者との円滑な関わり合いを保つことがきわめて苦手なのだ。ただし、人間ゆえ、何らかの形で他者や社会と関わりを持ちたいという心性は一般人同様に持っている。だから「生身の他者」の代替となり、より対人関与的スキルを必要としない「他者的なもの」にアクセスし、これと関わることで代替的に社会との関わりを獲得する。オタクたちがアニメやマンガ、フィギュアに熱狂するのは、マンガやアニメ自体ではなく、それを収集したり消費したりすることでマンガ的世界やアニメ的世界という「社会の代替品=他者的なものの延長」=社会らしきもの、とのつながりを確保するのが目的なのだ(この辺の考察を東浩紀は『動物化するポストモダン』の中で全くしていないので「動物化」なんていうものすごく安っぽいタームを振り回してしまっているのだが)。

当然、自分が依拠する「社会の代替品」はそのパイが大きい方がいい。小さな社会より大きな社会の方が、形式的には社会的認知が高い。それゆえ、それらにアイデンティファイすることで逆照射的に自らのアイデンティティが安定すると想定されるからだ。言い換えればより大きな社会の一員とオタクが感じることが出来る。だから精神的な足場がより安定する。

となると、ディズニーランドというのは、こういった「社会の代替品」の対象としてチョイスするには十分に候補となりうるだろう。ディズニーは巨大なアニメを中心としたメディア世界を作り上げている。ファンの数も圧倒的に多いからだ。しかもある意味でバーチャルではない。ディズニーランドというリアル=実社会が存在する(この時、ディズニーランドがシミュラークルであることなど問題ではない)。イメージしたものが多くのものに支持されていて、しかもその確認が現実空間で行える。こういった特性を備えたディズニー的世界は、オタクたちにかなりのレベルで安定した精神構造を提供してくれているのではなかろうか。


関わっているのに関わっていない、でも関わっている

さて、前回上げたデズヲタの事例。共通するのは、彼らが他のゲストに対してほとんど全く配慮をしていない点だ。自らの世界に没入している。そしてデータ収集に血眼になっている。このような行動スタイルは二つのレベルで「関わっているのに関わっていない、でも関わっている」状況を作り出す。

ひとつは他者に対して、具体的には他のゲストに対して。デズヲタたちは他のゲストと完全に没交渉、ということは他者と関わっていない。でも、ディズニーランドの中にはたくさんの客がいる。そしてショーやアトラクションで、そのゲストたちと連動=シンクロできる。それで、彼らにとっては関わっていることになる。そしてディズニー仲間の一員という気分を形成することが出来る。だから関わっているのに関わっていない、でも関わっていることになる。

もう一つはディズニー世界に対して。彼らがやろうとしているのはディズニー世界の全体像を把握しようとすることではない。つまりディズニーという世界の物語構造を掴み、その中に自らを位置づけるというモダン的行為ではない。その中の、一部の部分だけに熱狂的に盛り上がる、ようするに「萌える」。最初の男はショーに、次の男はレストランの食い物に、最後の男はプーさんに。こういったディズニー世界の断片だけにアクセスを継続する。ところが、こうすることによって、あたかもディズニー世界全体の中に包まれるという感覚に自らを持ち込むことが出来るのだ。ちょいと言語学の言葉を使わせてもらえばメトニミー、つまり部分が全体を表しているというレトリック(この場合、自らが自らにかける「トリック」と言った方がより適切かもしれないが)の中に自らを放り込むことによって、一部へのアクセスにすぎない行為が巨大なディズニー世界の獲得、そしてその中の自らの位置の獲得へと置き換えられているのだ。

言い換えると、彼らはディズニー的雰囲気を、断片だけで獲得した気になっている。「実はあなたはディズニー世界をちゃんとは知っていないのですよ」とツッコンでもいいのだが、そう言うツッコミに対する防御策も完璧だ。ひとつは、前述した他のゲストの一切と関わらないことでツッコミの機会を与えないことによって、もうひとつは限定したジャンルだけにアクセスを熱狂的に続け、つまり萌え続け、もっぱら注意をそちらに向けることでディズニーの他の世界のディテールを抑圧することによって。
こうやって、デズヲタたちは自らの社会性をディズニー相手に確認し続ける。

だからこそ、彼らは頻繁にディズニー・リゾートに出かけるのだ。その行為は、自らのアイデンティティを確認し続ける作業なのだから。ディズニーランドはオタクにとってはきわめて親和性の高い場所。おそらくこれからもデズヲタは増加し続けるだろう。ひょっとしたら、ディズニー大好き、年パスで毎日のようにやってくるオタクでないゲストにとっては、こういったデズヲタはもはや日常的な存在で、だからこそ存在しないかのように無視しているのかも知れない。

ディズニーランド・オタク(以下、デズヲタ)はすでに10年以上前に存在した

あれは10年ほど前のことだったろうか。当時アドベンチャーランドステージと呼ばれていた現在のニューオーリンズシアター内で”フェスタ・トロピカール”というショーが繰り広げられていた。映画リトルマーメイドのキャラ、ロブスターのセバスチャンを中心としたステージで、かつてない派手さとコンテンツの高さで結構な人気を誇っていたこのショー。いつものように、満杯のゲストの名か、ショーは滞りなく進められていたのだが、宴もたけなわとなった頃、ステージの右端で異様な風景が展開され始める。

ステージ左端の観客席最前列に短パン、Tシャツ、メガネをかけたおかっぱアタマの中背、肥満体の男がたっていた。年齢は20代後半くらいだろうか、身体にはカメラとビデオをぶら下げている。この男が、たった一人でショーのダンスに合わせて激しく踊り始めたのだ。観客はショーを見ながらも、その男の不気味さ、奇妙さに集中力をそがれてしまう。一方、男は辺りの雰囲気などかまうことなく、激しく、恍惚とした表情で踊り続ける。ディズニーランド側としてはこれを停止させる理由も権利もない。それこそゲストみんながこんな感じで踊ってくれればいいのだ。だが、ここは日本。アメリカではない。だから、日本人独特のスタイル、つまりショーを静かに鑑賞するというスタイルが基本。必然的に、ショーは怪しい雰囲気をまき続ける。そしてこの異様なムードは、ショーの終了まで続いた。男は最後まで踊り続けたのだった。

僕はこの異様な男に興味をそそられた。そう、当時としてはめずらしかった「オタク」のイメージが、男と完全に一致したからだ。

男のパフォーマンスはショー終了後も続く。終了後、男はかなり大きめの声でなにやら独り言を言い始める。「今日、○○さん、調子悪かったのかな。なんかリズム感が悪かったよな。それから△△さん。今日、担当のハズなのに……体調でも崩したのかなあ?」男はそう言いながら何度も首をひねり続ける。この○○さん、△△さんがディズニーのキャスト、つまりこのショーでパフォーマンスをおこなうダンサーを指し示していることは明らかだった。そう、この男はキャストの個人名までも把握していたのだ。このとき、男が相変わらず他のゲストのことを全く考慮していなかったことはいうまでもない。その発言が耳に入ったゲストにとっては、かなり不気味だったのではなかろうか。

「そうか、オタクといえばアニメとかフィギアとか鉄道とかが思い浮かぶが、ディズニーランドも十分にオタクにとっての対象になるんだなあ」僕も気持ち悪いモノを見てしまったという印象を、その時は抱いた。


市民権を得た?ディズニーランド・オタク

さて21世紀、このようなデズヲタの存在はもはや珍しいものではなくなっている。パークに行けば一日のうちに必ず何人かは発見することが出来る。ちょいといくつか例を挙げよう。ここではディズニー・シーで見かけたものをあげてみたい。

その1。アメリカン・ウォーターフロントのカウンター・サービス・レストラン、ニューヨーク・デリで。僕はディズニー・シーに行くときは、だいたいここで朝食をとる。その日もテーブルで、いつものようにカミさんとベーグル・サンドをほおばっていると、その横のカウンター席に痩せた男が座った。カウンター席は正面が壁で圧迫感があり非常に座り心地が悪いので、混雑しているとき以外、一般にゲストはテーブル席を利用する。そしてまだオープン間もないゆえ、客はほとんどいない。にもかかわらずこの男は壁に向かって座っているのだ。男は二十代半ばくらい、デニムのスラックス、ちょっとタータンチェック風のカッターシャツ、髪の毛は七三分け、金ぶちフレームをかけたやせぎすの中背。そしてデイパック。そう、明らかにアキバ系の格好それ自体である。男はフライドポテトをエサのように口に運びながら、なにやらノートを見やっている。そして右手にはペンが。男は今日の日程を細かくチェックしているのだ。何を書き込んでいるのかは不明だが……。

その2。同じくアメリカン・ウォーターフロントのテーブルサービス・レストラン、リストランテ・デ・カナレットで。昼食時、僕らはプライオリティ・シーティングサービスをとってこのイタリアンレストランのベランダ席を確保した。メニューを注文し、しばらくすると隣の席に一人の男が。やっぱりヲタ=アキバ系の格好なのだが、このレストラン、結構根が張るのと雰囲気がいいので、おそらく彼女が後から来るのだろうと思っていた。男はメニューをつぶさにチェックし始める。メニューをテーブルにおき、そこに顔をつっこむようにのぞき込んでいるのだ。挙げ句の果て彼が始めたのはメニューをメモすることだった。そして……いうまでもなく、彼女はいつまでもやっては来なかった。そう、一人でここにやってきたのだ。

「オーッ、またデズヲタだ」そう思って、僕はまたまた興味津々、行動をカミさんの肩越しにチェックし始める。彼のところに運ばれてきたメニューは牛肉料理、いちばん値段が高いヤツだ。これを前のめりになりながら、中を検分するかのようにゆっくり、ゆっくり口に運んでいた。もちろん、一言も言葉を発せず。

その3。ミステリアス・アイランドで。僕がトイレから出てくると、ものすごく目立つデズヲタに直面した。大男、180センチくらいは楽にありそう。髪は長髪、もちろん金ぶちメガネを装着している。ただしもっとも奇異なのは白衣を着ていることだ。それだけでも場に不釣り合いな格好で目立つのだが、事はそれだけにおさまらない。なんとこの白衣の全面にプーさんのピントバッジが貼り付けられているのだ。その数、数百。ポイントとなる各部分には小さなプーさんのぬいぐるみが。帽子はもちろん密壺の形をしたもの、デイパックもプーさんだ。そして、この男、例によって一言も言葉を発しない。

ところが、こういった連中に対する他の一般ゲストの対応が20世紀と21世紀では違っている。初めて遭遇したときは明らかにゲストたちは狼狽していたのだが、今ではデズヲタを完全に無視しているのだ。ディズニーのパークの中ではそれほどまでにデズヲタはもはや市民権を得ているということなのだろうか。ちなみに、こういったヲタをロスやフロリダ、パリで見かけることは、ない。(続く)

やっと体験した、三つ目のタワー・オブ・テラー


遅ればせながら東京ディズニーシーのタワー・オブ・テラーを体験した。これで世界のタワー・オブ・テラーすべてを制覇したことになるのだが、そういった経験を踏まえてこのアトラクションを評価してみたい。

まずアトラクションの流れについて。ホテル名は”ハイタワー・ホテル”。これはロスやフロリダは”ハリウッド・タワー・ホテル”だったので名前が違う。ニューヨーク・マンハッタンをイメージしたアメリカン・ウォーターフロントに位置するゆえ、名称の変更はやむをえなかったのだろうが、理由はそれだけにとどまらなかった。実は、名前の違いは、他二つのアトラクションとは異なった趣を持っていることも意味している。

このアトラクションはかなり細かい物語設定がなされている。1899年12月31日。ハイタワー・ホテルのオーナーで、世界の歴史的遺物の収集家である大富豪ハリソン・ハイタワー氏が偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」を抱えたまま、最上階のペントハウスにエレベーター向かおうとしたとき、エレベーターは途中で突然落下。破壊されたエレベーター内にはシリキ・ウトゥンドゥだけが残りハイタワー氏が失踪。以降、このホテルは閉鎖されるが、11年後、このホテルは、この怪しげな伝説を見せ物に再びオープン。そして、観客はこのツアーにサービス・エレベーター(業務用エレベーターのこと)で向かうことになるのだが……という設定。しかも、さらに細かい設定についてFM東京やポッドキャストでストーリーが展開されているという作り込みよう。


アトラクションはこんな感じで進行する


そしてアトラクションで、われわれがその観客になるという設定。先ずロビーからハイタワー氏の書斎に通され、シリキ・ウトゥンドゥの呪いについて、それを否定するコメントしているハイタワー氏の録音を聴かされる。(この時、ハイタワー氏の声をつとめるのは銭形警部の声優・納谷悟朗なので、おもわず「ルパ~ン、タイホだ~」って言いそうな感じもするが)それが突然切れ、そしてシリキ・ウトゥンドゥが輝き始めると、書斎の後ろのステンドグラスの絵が変化し、ハイタワー氏がエレベーターごと転落するシーンが再現される。次いで天界からハイタワー氏が「このエレベーターに乗るな。私のようになる」と叫ぶ。つまり、あなたたちも乗ればエレベータが落ちて、世界から消える運命にあるというメッセージが告げられる。

にもかかわらず案内係は、平然とそのままコレクションの倉庫に観客を招き入れる。すると倉庫の先にはサービス・エレベーター、つまりアトラクションのライドの乗り場が。乗り場はABCD四つあるが、二階建てなので全部で八つ。下の階ではハイタワー氏の多くのコレクションを見ることが出来る。

さて、乗り場に案内されると、ライドの着席場所を指定される。ライドは3列22人乗り、場所指定は1~6。最前列を希望するなら1か6をキャストにリクエストする。ライドは金網風の作り。イスは三点式シートベルト。これは他の二つのパークが一点式なのに比べて厳重だ(これは日本の安全基準が厳しいからだろう)。全員のシートベルト着用をキャストが確認の後、アトラクションはスタートする。

まず室内が暗くなると、ライドは後ろにバックする、そして徐々に上昇。そして第一番目の扉が開く。ハイタワー氏のペントハウスに到着したのだ。そこでハイタワー氏は再びシリキ・ウトゥンドゥの呪いなど恐れるに足らずとうそぶくが、次の瞬間、シリキ・ウトゥンドゥによって闇の彼方にとばされていく。そして室内は真っ暗になるとともにシリキ・ウトゥンドゥだけが残り、周辺は星がきらめく暗闇に。

扉が閉まりエレベーターは下の階へ。ドアが開くとふたたびシリキ・ウトゥンドゥが。その後ろに鏡が。ナレーションは「お別れの挨拶を鏡に向かってするのだ」とし向ける。ここで手などを振ると、その手を振っている自分たちの影だけが鏡に再生される。

そして、ドアが閉まるとエレベーターはー急上昇。上り詰めると、手前のドアが再び開く。眼前に広がるのはディズニーシーの景色。そして……エレベーターは垂直に二段に分けて落下する。

落下し終わるとエレベーターは再び上昇。今度はいちばん上まで上り詰めるが停止することなく、そのまま再び真っ逆様に落下。この瞬間、完全に身体が宙に浮く。(ここがいちばん怖いところ)

そして落下し終わると再び上昇。最上階で停止。景色が破れたガラス越しに少し見えるが、再び落下(この時撮影用のフラッシュがたかれる)。


きわめてウォルト的な?アトラクション


さて、このアトラクションのランク付けをすると……ロスより上、フロリダより下というところだろうか。ただし、ある意味ではフロリダと同等ともいえる。

もし、このアトラクションについての前提的知識がなかったならば、いちばん興奮するのはフロリダだろう。落下の迫力(かなり落ちます)。しかも、身体が宙に浮くのが三回目で、つまり回数を重ねるにつれてその恐怖が助長される。また暗闇の中をライドが移動するなど、ギミックなどの点においても、単純に観客を興奮させる要素に満ちている。加えてアトラクションは亡霊化したホテルに観客が来るという設定のため、キャスト、つまりここでのホテル従業員もゾンビ化していて、みんなゾンビ的な対応を観客にするのだ。これが文脈なしで観客を恐怖の中に陥れる。これはロスの場合も同じだ。

一方、ディズニーシーの場合には、単に伝説のホテルツアーという設定なので、このようなおどろおどろしい設定はない。キャストは他のアトラクション同様、明るくガイド風に対応する。しかも宙に浮くのが二回目なので、三回目がちょっと拍子抜けでもある。だからこそだろう、最初に書斎に通されたとき、これから自分たちが陥るハメになる展開を知らせることによって、観客に恐怖を抱かせるようにはなってはいる。ただし、前述したようなこのアトラクションの物語的文脈をはじめから知っていれば恐怖の質が変わり、ディズニーシーのタワーオブテラーは、フロリダ同様、あるいはそれ以上にとても恐ろしいものとなる。よくよく考えれば単に垂直に落下上昇を繰り返すだけの単調なアトラクション。それをどれだけおどろおどろしいものに見せるのかがポイントで、それが、先ほど示したような物語で見事実現しているのだ。ちなみにロスの場合、物語の設定がフロリダ程度、そして落下は二回。しかも宙に浮く瞬間はない。よって、かなり興ざめる。

東京ディズニーシーのタワー・オブ・テラー、これはウォルトが示したアトラクションのあり方を見事に踏襲していると言えるのではないか。実はウォルトはジェットコースターのような身体の刺激に直接訴えかけるようなアトラクションが嫌いで、鑑賞し、アタマの中のイメージを刺激するような施設をめざしていた。彼がロス・ディズニーランドオープン時に最も力を入れていたのが「魅惑のチキルーム」だったこと。ニューヨーク万博のアトラクションIt's a small worldをディズニーランドのアトラクションとして移設しようと真っ先に提案したこと、さらにジェットコースターを嫌っていたことは有名な話。そういった意味できわめてウォルト的なアトラクションなのだ。日本製タワー・オブ・テラーは、それゆえ、その背景的知識を知るほどに何度もアトラクションに行きたくなるように出来ている。最初は単純な落下の刺激を、そして次第に物語の文脈に合わせて楽しむことを。

こういったスタイルが時代に沿ったものであるかはわからないが、そういった意味でこのアトラクションはディズニーリゾートというエリアにあるにはふさわしい施設といえるだろう。

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