「する」旅と「しない」旅

旅のスタイルには二つある。一つは「する」旅である。これは旅行期間すべてをイベントで埋め尽くす、というもの。日本人の海外旅行で一般的な”ヨーロッパ周遊10日間の旅”的なパックツアーこの典型にあたる。
もう一つは「しない」旅である。リゾートや一都市滞在型がこれで、あまり移動することなく、本を読んだり、気が向いたときにちょっと観光やショッピングに出かけ、リラックスした時を過ごすというもの。こちらの典型はフランス人のバカンスあたりだろう。歳をとったせいか、ぼくの最近の旅スタイルは「しない」型で、リゾートで読書とビール三昧で過ごすのが年中行事になっている。
さて、今回はウォルト・ディズニー・ワールド(以下WDW)を訪れた。ここはテーマパークで有名だが、敷地は山手線の中よりも広く、一大リゾート地としても知られている。そこでぼくはディズニーのノウハウを持ってすれば最高の「しない」モードに浸れるはずと目論んだのだが……予想は完膚なきままに裏切られてしまった。WDWは徹底的に「する」場所だったのだ。

徹底的に観光「する」アメリカ人

ここを訪れるアメリカ人のほとんどは家族。そして彼らの一日は忙しい。朝から晩までいくつもテーマパークを見て回る。ホテルに滞在する場合も、プールで一日中はしゃぎ回る。おかげでそこはさながら市営プール状態。プールサイドでのんびり読書など到底不可能である。とにかく食べ、観て、話して、遊ぶ。これを一日中やり続けるのだ。そして呼応するように施設も客に何かすることをせき立てるように空間、イベントがびっしりと敷き詰められている。これを消化するエネルギーは半端ではない。夜ともなればおそらくぐったりだろう。また膨大な情報と消費の連続にめまいを感じないではいられないのではないか。
ところが、彼らはこれを毎日、平気でやり続けるのだ。当然、ぼくの「しない」プランは破綻した。そしてこのタフさには関心を通り越して呆れるばかりだった。やれやれ。

「する」と「しない」の同質性

アメリカ人の、この時空間を埋め尽くすというのは日本人の旅行スタイルと一見、よく似ているように思える。ところがよく観察してみると、同じ「する」でも日本人のそれとはだいぶ違っていることがわかってくる。
日本人はWDWでもガイドブックを虱潰しに調べ、最も効率的な周り方を考える。少しでも待たず、短時間で押さえておくべきアトラクションを廻るよう、綿密な計画を立てるのだ。そして、パーク内では目を血走らせながら足早に移動する。
一方、アメリカ人たちはパーク内をあまり計画無く動く。会場の入り口で入手したマップも参考程度にチェックするだけで、観たいもの、やりたいものから手を付ける。それで長時間待たされようが、全部を見て回ることができなかろうが、あまり気にすることもないようだ。だから効率性はすこぶる悪い。要は”行き当たりばったり”なのだ。
だが、かれらは実に楽しそうだ。長々と待たされても、そこで常におしゃべりを続け、「いま」、「ここで」の充実を図る。関心を抱いたものがあれば、そこでしばしそれに興じ時間が経つのを忘れる。歩きも実にゆったりとしている。そう、いつでもマイペースなのだ。いうならば徹底的にリラックスしながら観光モードに入っている。おそらく疲労も眩暈も感じることはないのではなかろうか。
彼らは「する」というスタイルをとりながら、「しない」旅と同じものを獲得している。方法論が違うだけで、おかれた時間・空間を自分のリラックスの手段として活用し尽くす、つまり旅というものを自らに従属させるという点で、実は何ら変わるところはないのだ。
キチッとした服装、綿密な計画に基づく観光、忙しい行動。日本人の観光はリラックスと言うより、労働の延長ということになるんだろうか。その結果、旅の終わりに残るのは必然的に眩暈と疲労……それは旅に振り回されているということに他ならない。ぼくらの観光という文化=消費・娯楽の習熟度は、欧米の習熟した文化に比べれば、まだまだ浅いということなのかもしれない。そしてこういったこと、実はバックパッカーたちにもあてはまると、ぼくは思えてならない。