勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり。(Yahoo!ブログから引っ越しました)

2005年10月

ディズニーランドパレードに涙した

1983年以降、日本各地にテーマパークが建設された。ところが、そのほとんどが失敗。現状では元祖の東京ディズニーランドが一人勝ち状態だ。2001年、大阪活性化の期待を担ってオープンしたユニバーサルスタジオジャパンも、ここに来て勢いが急減速している。

若者たちよれば、ディズニーの他のテーマパークにはない魅力は、なんといっても「リピーターになる」、つまり何度も行きたくなるところにあるという。そこで、ここではその理由を象徴するエピソードをとりあげ、仏社会学者ロジェ・カイヨワの「遊び」論を参考にしながらこれを分析することで、情報化社会で身体=カタログ的思考を身につけた人間の行動原理を示してみたい。
それは「ディズニーランドではパレードを見ていると、わけもなく涙が出てきてとまらくなる」というものだ。

めまいの快適性

カイヨワは遊びの要素を四つ指摘しているが、そのひとつに「めまい」がある。ジェットコースター、クルマを疾走させるなど、スピードに関わる遊びから得られる爽快感がこれに該当する。
めまいのメカニズムを、情報、そして自我のと関わりで考えれば次のようになろう。先ず大量の情報が目の前に提示される。そのあまりの膨大さに処理不可能な状態となった個人は、情報の海の中に身を投げ、自我の情報への融解、あるいは没入という事態を発生させる。それが「めまい」である。

さて、ディズニーランドのパレードでの涙だが、これこそが「めまい」に他ならない。
パレードにはおびただしい数のフロートが繰り出す。そして、すべてのキャラクターが楽しそうにこちらにほほえみかけてくる。これをディズニーキャラクターをあしらった衣類やグッズを身につけた大勢の観客が取り囲むことで、ムードをいっそうもりあげる。
さらに、これだけにとどまらない。というのも、パレードを鑑賞する観客たちの中には、ディズニー世界に関する多くの情報があらかじめインプットされているからだ。
おそらく、彼らは赤ん坊の頃、ベビーミッキーがついた産着やほ乳瓶などのグッズで無意識のうちにディズニー世界に触れ、子供時代にはビデオ、映画で様々なディズニー作品を鑑賞し、また何度もディズニーランドに繰り出し、現在では家のあちこちにディズニーグッズがあふれている、といった具合にインフラストラクチャーを構築してきているはずだ。つまり、知らないうちに頭の中はディズニー情報でいっぱいなのである。

そして、パークのディズニーテーマで充満した環境の中、パレードが始まると、これら情報が一挙に提示される。パーク空間の膨大な情報と、記憶の中に埋め込まれた膨大の情報が、スパークするのである。
観客はその情報を一つ一つ読みとろうとはしない。情報量は解読する能力をとっくに超えている。だから彼らはそれら情報を丸ごと浴びる、あるいはその情報の中に身を投げるのだ。

情報を丸ごと浴びてしまうことの現代性

その際、現象するのは自我の忘却と環境への身体の融合だ。そう、きわめて快適な「めまい」の発生である。送り手、受け手双方によって構築された情報環境の中で、彼/彼女はエクスタシーを感じるのだ。それは、ホーリスティック(=全体感に包まれる)、癒しの感覚である。そしてそれが涙というかたちを結実する。この時、強いアイデンティティが感じられることは、いうまでもあるまい。ディズニー世界というバーチャルな「社会」と一体化した身体が、そこにはあるからである。
これら情報は膨大さゆえに解読不可能。だから何度でもめまいを経験することができる。そう、これこそがディズニーランドが癖になり、リピーター化する仕掛けなのである。残念ながらUSJや他のテーマパークには、こういった重層的メカニズムによる情報の横溢はない。

だが、このような情報環境は、モダン時代の古い論理的思考形態に固執する人間や、ディズニーランドのインフラがない人間にとっては、逆に恐怖の異様なめまいに転じるだろう。膨大な情報の中で自我を喪失すること、それは恐怖に他ならないからだ。だからこういった人たちはディズニー経験を薄気味悪い、不気味なものとして否定的に語らざるを得ない。
パレードに涙する、というエピソードは今日の若者を語る上で実に示唆的だ。これこそが、論理的思考を退け、情報化社会のカタログ=身体的思考を身につけた人間特有の反応だからだ。ディズニーランドでの涙、それは情報を丸ごと受け取り、これを身体的に反応する新しい時代の思考・行動スタイルの必然的結果なのである。

 これはもう20年も前の話である。

 大学生だったぼくは初めて海外、インドの地をバックパッカーとして訪れた。降り立ったのはカルカッタ。到着するなり驚かされたのは、あふれるほどの乞食の数(当時は本当に乞食が多かった)。その凄まじさに初心者かつガキだったぼくは、当然のことながらこれに圧倒され、ビビっていた。

 そんなぼくに処方箋を示してくれたのはゲストハウスのヒッピーっぽい日本人だった。彼、曰く。「乞食に絶対、喜捨してはいけない。」一人にお金をあげた瞬間、自分にもよこせとばかり周囲の乞食が押し寄せ、収拾がつかなくなる、というのだ。パニック状態だったぼくは、とにかくこの教えを守り続けることにした。

 とある日のこと。通りを歩いているといつものようにぼくのところに乞食が喜捨にやってきた。女の子、8才くらいだろうか。上半身裸で赤ん坊を抱いている。彼女は悲し気な顔つきでしきりに喜捨を求めてきた。

 かわいそうだとは思ったが、ぼくは自らを守るため当然これを無視することにした。しかしである。彼女は辛抱強く、どこまでも、どこまでも後を付けてくるではないか。2分、3分、気がつけば10分以上も彼女はぼくを追い続けていた。赤ん坊を抱えているのだから、だんだんと腕がしびれてくる。彼女の表情はまさに悲惨を極めはじめた。

 さすがに見るに見かねたぼくは、とうとう根負けしてしまった。そして彼女を通りの影に誘うと、他の乞食に見つからないように注意しながら彼女の手にそっと10ルピーを手渡したのだ。彼女は軽く微笑みながらカネをひったくるように受け取ると、やっとぼくの元を去っていった。「子どもとはいえ、この国の貧困は厳しい。それにひきかえ自分は、日本で甘えた暮らしに浸っている……しかも保身しか考えていない」肩の荷が下りホッとしたと同時に、自分の身勝手さに少々自己嫌悪に陥るほど、ぼくは落ち込んだ。

 数日後、ぼくはまだカルカッタにいた。やっと馴染んだ場所から移動するにはまだちょっと勇気が足らなかったのだ。いつものように何のあてもなく市内を徘徊しはじめる。そしてニューマーケットの前までやってきた時のことだった。突然、腰に衝撃が走った。誰かがぼくに蹴りを入れたのだ(とはいっても、痛いと言う程ではないが)。驚いて振り返ると、そこに立っていたのはこのあいだの彼女。実行者は彼女に間違いはなかった。
彼女はぼくに向かって再び「バクシーシ」と喜捨を求めてきた。ただし今回は全然、説得力がない。声は大きく、明るく、しかも顔には満面の笑みを浮かべているのだから。それはようするに、ぼくへのあからさまな蔑みに他ならなかった。

 状況を理解できず、ただただ唖然とするばかりの自分。しばし眼はうつろ。だがそんなボーッとした眼線は気がつくと、その先の一人の乞食の男の子に焦点を合わせていた。彼もまた白人バックパッカーに物乞いをしている。その眼差しはあの日の彼女と同様、哀願する、そして生活の悲惨さを訴えるそれだった。そして……その裸身は、やはりあの日、彼女が抱えていた赤ん坊を、同じように腕に抱えていたのである。

 その瞬間、ぼくはすべてを理解した。そして自分の了見の狭さ、そして幼さを嫌というほど思い知らされた。彼女たちは乞食という職業のプロ。こちらの貧困に対するステレオタイプを熟知しており、そこに付け入って究極の貧困を見事に演じてみせたのだ。悲惨な顔つき、そして赤ん坊という商売道具。社会への適応力では、彼らの方がよっぽど大人で、ぼくは子ども、このことはどう考えても明らかだった。(もちろん、彼らの環境が劣悪で、貧困にあえぐ人々の子どもたちの多くが成人に達することもなくこの世から去って行くという、厳しい現実が変わるわけではないが……)

 呆然としていたぼく。だが、しばらくするうちに、不思議なことになんともいえぬ爽快さを感じている自分に気がつきはじめた。現実社会の厳しさを生き抜くたくましさ、そしてしたたかさ。見事にだまされたことがむしろ、心地よい痛みにすら思えてきたのだ。と、同時にそれまでよそよそしかったインドが、突然、身近なものとしてぼくの前に広がっていた。

 翌日、ぼくはカルカッタを後にする。その時、ぼくのインドの旅は始まったのである。そして20年後の今でも、その旅はぼくの中で相変わらず続いている。

F1という、渡し船

タレントとして様々な活躍をはじめた古館は、番組のレギュラーを獲得していった。「アッコにおまかせ」「グッドジャパニーズ」「クイズ、大凡人(だったかな)」といった番組の司会・中心的存在として活躍をはじめるのだ。

ただし、これらはいずれも失敗する。「アッコ」では和田アキ子と全くそりが合わず、それどころか和田にどつかれっぱなしで、古館節のフの字も展開できないほど。つまり芸能界の「ゴッドねーちゃん」・和田の「権威」におされっぱなし。挙げ句の果ては、おべっかばかりをする古館に、和田が「なんで、あんたは、そうコロコロちゃんなの?(「コロコロちゃん」とは、相手の機嫌を呼んで、立場をコロコロと変えるの意)とつっこまれる始末。全く掛け合いのできない状態になった古館は、番組から降りた。(この時、古館は和田の失礼な態度に怒ったために降りたと報道されたが、真実は不明)。つまり、和田とのコラボでは古館の「ゴーマンと卑屈の二元論」のうち、その卑屈さだけが助長され、みっともないもないものこの上ない姿をあらわにしてしまったのだ。

グッドジャパニーズは身近な問題を視聴者と考えるという報道番組だったが、視聴者との直接意見交換というスタイルに、これまた古館は全く適応できず(電話で苦自らの心中を告白した視聴者に、みのもんたのように同情することができず、逆に不必要なツッコミを入れ、途中で相手に電話を切られたというシーンもあった)、視聴率もさっぱりで、早々うちきりとなった。加えて「大凡人」もコンセプトが受けず、これまた打ち切り。古館自体の行き場が無くなったように思えた。

そんなとき、フルタチ節がきわめて有効、かつ古館がアイデンティファイ可能な仕事が古館に舞い込んでくる。それがF1の実況だった。88年からフジテレビがF1の中継を開始。古館は翌年の89年から実況担当となる。

これが見事にどんぴしゃり、ハマった。プロレスよりはるかにステイタスの高いF1。ヨーロピアンテイスト溢れ、しかも膨大なカネが投入され、なおかつ世界三大スポーツイベント(残りはワールドカップ・サッカーとオリンピック)のひとつ。ステップアップ、つまり自らの権威の階梯アップには十分のジャンルだった。だから古館は飛びついた。

やり方はプロレスと同じ。まず、F1パイロットそれぞれにキャラクターをワンフレーズで配置。たとえばナイジェル・マンセルは「荒法師」、ジャン・アレジは「スピード・ジャンキー」("ジャン"の語呂合わせ)、ネルソン.ピケは「快楽ラテン走法」、そして後にチャンピオンとなるM.シューマッハーは「F1ターミネーター」だった。次に、これらキャラクターに、例によって戦国時代絵巻風ストーリーを展開する。ストーリーの中心に据えたのが当時マクラーレンに所属していたA.セナとA.プロストのバトル、あるいは確執だった。古館は徹底的にセナに加担、だからセナのキャッチは「音速の貴公子」と、最大限の賛辞で形容された。一方、A.プロストには悪代官=越後屋の役割がふられた。だからプロストのキャッチは「顔面フランケンシュタイン」であり、その走法には「偏差値走法」「勝ちゃあ、いいんだろう走法」などと、やり方の汚さをデフォルメさせるような表現がもっぱら用いられた。

古館の実況は例によってF1ファンからの非難を浴びる。「ルールを全然知らない」(はじめたばかりで、あたりまえなのだが)、「F1が持っている品を下げる」など。しかし、ここでも古館は勝利を収める。プロレスの時にはアントニオ猪木を神格化し、これを中心に物語を展開したように、F1ではセナを神格化し、セナを軸に実況を展開。そうすることでF1は我が国で空前のブームを迎えた。セナが国民的なアイドルとなったことは言うまでもない。古館は再び「我が世の春」を迎えたのだ。古館は、プロレスなどという「下品」なスポーツでなく、世界が認めている「高尚」なF1で成功することで、さらにその地位をステップアップさせていったのだ。

例の図式でF1と決別

しかし、F1がバブル崩壊とともに、我が国でピークを過ぎると、古館のいつもの癖が、また、はじまった。F1に飽きたと同時に、見切りをつけはじめたのだ。92年以降、次第に古館はF1実況から離れていき、レース自体を選ぶようになる。彼が実況するのは開幕戦、モナコ、サンマリノ(フェラーリのお膝元)、イタリア・モンツァ、そして鈴鹿と、おいしいところばかりとなる。間違ってもハンガリーとかブラジルで実況をするなんてことはしなくなった。そればかりか93年は実況すること自体が減ってくる。変わって実況回数が増えたのは早坂、三宅といったフジテレビアナだった(ちなみに三宅はF1で実況のスキルをどんどん上げていった)。

たまにしか実況しない、実況していないときにはおそらくレースを見ていないんじゃないか、と思わせるほど情報を収集しない。だから、実況内容を解説の今宮純に訂正されるシーンがしばしば現れた。そして94年、彼は、プロレス時と同様、これまたF1から足を洗うタテマエを見つける。そう、A.セナの事故死である。彼が作り上げたF1の主役が死んだのだから、もう義理は果たしたということなのだろうか。95年以降、古館はF1と一切の関係を切ったのだった。

報道ステーション、一年経過しても古館は相変わらずダメ

相変わらず古館はイケていない。報道ステーションでの彼の態度は、なんか、こう腰が引けているという感じで、これまでの迫力がない。例の古館節もまったくやらないし(ウリはこれのはずなのだが?)。なんで古館は番組に馴染んでいないんだろう?

結論から言おう。「古館は『権威主義者』=強いものにはすり寄り、弱いものを侮蔑・切り捨てることによって、自らの権威をグレードアップさせていこうとする志向の持ち主=ゴーマンと卑屈の二元論者、だからだ。だから報道ステーションではビクビクしている」のだ。という前提で、古館のパフォーマンスと、この権威主義について考えてみた。古館はどうやって現在の階梯に上り詰め、そして今、止まっているのか?


プロレス実況中継でフルタチ節は完成

古館がブレイクしたきっかけはテレ朝アナウンサー時代、新日本プロレスの実況を担当したことにはじまる。ここで大げさな実況をすることで、彼のスタイルは世に知れ渡る。だが古館実況のもっとも特徴的な点は、一般に評価されるこの「大げささ」ではなく、むしろキャラクター設定のわかりやすさにあるといえるだろう。つまり、識別のつきにくいレスラーにすべてワンフレーズで修飾語句を与え、その文脈でレスラーのキャラクターを組み立てるというやり方だ。アントニオ猪木ならご存知「燃える闘魂」、アンドレア・ザ・ジャイアントなら「人間山脈」といった具合。番組の冒頭には、実況されている会場のある都市の特徴を、ほとんどの場合、戦国武将の物語で紹介。さながら街全体が「戦いのワンダーランド」(これも古館が好んで使っていたセリフ)と化しているかのような演出をおこなっていた。これに、例の「おーっと!」という「大げさ実況」が加わる。技の解説についても同様で、ほんとともウソともつかないエピソードを付け加えていた。半面、技術的な内容の詳細については一切語らなかった。だからプロレス素人のオーディエンスには、きわめてわかりやすい解説と映ったのである。

こうしたやり方が、全体としてきわめて単純化したドラマを組み立てることに成功する。ドラマにたとえれば、一般のドラマではなく大映テレビ室の制作する「赤いシリーズ」(山口百恵が主演していたもの)「スチュワーデス物語」などのデフォルメを全面に展開するやり方、要するに単純化・定型化したキャラクターが、ありえない仰々しい設定の下に、ありえない仰々しい演技をする手法をプロレスに持ち込むことで、プロレスの複雑性を極端に単純化し、実際のプロレス以上に「プロレス的」に演出することに成功したのである。それはプロレス上につくられた、もう一つのフルタチ・プロレス・ワールドに他ならなかった。

古館がプロレス実況をはじめた当初、プロレスファンは彼の実況には批判的だった。「ゆっくり試合を見せろ」「フルタチはうるさすぎる」「技術をあんまり知らないので、同じことをやたらと連呼している」などなど。しかしながら、古館は経験を積むにつれて知識も増やし、さらにはこういったファンを納得させるレベルにまで技術を向上させていく。


プロレスに飽きた古館

彼はその勢いに乗じてテレ朝を退社、古館プロジェクトを立ち上げ、フリーのアナウンサーとしてスタートを切る。だが、この時点でひとつの逆転が起こる。その逆転とはプロレスと古館の関係だ。プロレスは猪木の全盛期、厳密には新日本プロレスの全盛期が過ぎ視聴率が低下。テレビ朝日金曜午後八時台というゴールデンタイムでの実況中継権も失い、またプロレス自体も他団体が乱立。地盤沈下を起こしていった。一方、古館のほうといえば、例のフルタチ節はすっかり世間に定着。他のアナウンサーまでがこのやり方をまねるようになるというほどカリスマと化していた。

すると、それまで猪木を尊敬しプロレスを絶賛していた古館は、次第にプロレス自体を見下すようになる。試合はメインイベントの中継のみしかやらなくなり、実況の回数それ自体が減っていく。(変わってプロレスの実況をはじめたのはテレ朝アナウンサー辻義就だった。辻は一生懸命フルタチ節をパクっていた。だが、彼にはフルタチ的なおどろおどろしさが無く、節回しの切れがなかった。また、ワンフレーズによるキャラクター設定もへたくそ、一方、情報量はフルタチより多かったために、辻の実況は、ストーリー性に乏しく、ともすればわざとらしさを助長することとなる)こうなると古館自体もすっかりやる気をなくし、プロレスについての積極的な情報収集などは全くやらなくなる。実況は既存の古い情報だけで展開されリアリティを失っていった。その杜撰さは回をおすごとに増していき、プロレスファンでなくとも「ああ、こいつ、手をぬいているな」ということがはっきりわかるほど稚拙なものへと転じていったのだ。そして、古館は猪木の退場を理由に、プロレス界から足を洗っていく。

プロレス実況を降りて数年後。古館は「猪木との約束」というタテマエで、久々にプロレスの中継を行った。ただし猪木のタイトルマッチだけ。この試合の実況は、ただただ、傲慢、猪木までもを見下した「エライ古館様が、プロレスなどという二流で下卑た、スポーツともエンターテインメントともつかないものの実況をしてやっている」という態度に溢れていた。「ああ、この人は強い人には卑屈に、弱い人にはゴーマンに対応するのだなあ」。

つまり、フルタチ・システム=古館の権威の階梯上昇パターンは、こうだ!

あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)という「フルタチ」パターンはこの時期に形成されたのだった。(続く)

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コイズミの戦略~ワンフレーズポリティックスのすごさ
コイズミの戦略のうまさは政治のアジェンダ(議題)それ自体をそらしてしまうことにある。そのやりかたは「二択方式」にある。つまり○か×かに議題を限定させてしまい、その中身を議論させないというやりかただ。

今回の場合は郵政民営化反対ですか?賛成ですかという、ご存知のもの。これで二つの論点がボケてくる。ひとつは郵政民営化以外の改革がボケる。つまり郵政民営化に焦点が当てられ、他の議題への目線が失われる。もうひとつは郵政民営化それ自体の内容=論点がボケる。「民営化賛成?反対?」という選択肢だけがクローズアップされ、民営化の中身の議論への焦点がはずれるのだ。

次いで、この演出を徹底化するために、一般にわかりやすいフレイム=物語を設定する。これまたご存知、自民非公認、さらには刺客の送り込みだ。これで選挙は一挙にドラマ・水戸黄門化する。ご老公(コイズミ)、助さん格さん(武部等の閣僚)、お銀(小池百合子、片山さつき等)、越後屋・悪代官(反対票を投じた亀井静香などの元自民党員、野田聖子などはさしずめワルの女)。ようするに、やたらとわかりやすい、おなじみの図式にはめることで、選挙ドラマを明瞭化してしまう。

しかも、コイズミ劇場のすごいのは視聴者参加方式というか、テレビゲーム的なところだ。つまり、投票という行動に加わることで、あなたの選択が実際に実現しますよと感じさせている。投票に行く人間はこの「力の現ナマ」に魅力を感じるような仕組みになっているのだ。だって、参加すれば自分の力を行使し、社会で自分が影響力を持っていることを感じることができるんだから。

こうなると、おもしろいので「投票にいってやろう」ということになる。だから投票率は10ポイント近く上昇した。僕はスタバにいたとき、政治のことなんかこれっぽっちも関心のない若者が「おい、ところで投票、何時頃いこうか」と相談しているところを目撃した。そんなの今まで見たことなかったから、チョーびっくりものだった。

コイズミ劇場はマトリックス祭りと同じメカニズム
そう、これは「吉野屋祭り」「マトリックス祭り」と全く同じ図式。ちなみに同じ図式はたとえばワールドカップで日の丸の旗を振り、大声で君が代を歌うサポーターたちの心性にもあてはまる。あれは右傾化でも何でもなく、この力の感覚だ。さらに同じ図式が最近起きた。2ちゃんねる上で発生した「のまネコ」問題が、それ。あれも、よってたかってエイベックスをたたきまくり、マスメディアの関心を惹起し、大騒ぎさせた挙げ句、エイベックスは陳謝し、かつ「のまネコ」の登録商標を取り下げた。騒いだ連中は自分の力の強さを発揮できたのだから大満足だっただろう(もっとも、まだまだバッシングは続いているのだが。ここまでくると、さすがにサディステックな感じがしないでもないが)

要するに、コイズミはフラッシュモブを全国的規模で作り上げる技術を持っていた、たぐいまれなる「政治的手腕」(政治の内実でなく、政治戦略の点での)を備えた「名宰相」ということになる。国民、とりわけヒマな若者をフラッシュモブ化することで「郵政民営化祭り」を開催し、膨大な数の無党派層の取り込みに成功したのだ。「無党派層は宝の山だ」とかコイズミはいっていたが、まさに彼は宝の山を掘り当ててしまった。しかもこれまでの政治キャンペーンとは全く違うやり方で。いやー、ホントにコイズミって人間はクリエーターだよね。

で、マヌケなのは民主党だ。もっぱら政治の中身で勝負しようとしたからだ。しかも政見放送もお粗末きわまりないものだった。岡田克也と蓮紡が対談式ですすめるその政見放送は、いきなり岡田のファミリーの話からはじめ、しかも、その話を、話しかける蓮紡でなくテレビに向かって岡田がしゃべるという、ウソっぽさきわまりないもの。テレビリテラシー的に見ても、こんなのはマヌケ以外の何物でもない。そんなものにフラッシュモブ化する大衆は全く興味など示すわけはないのだ。

一方、コイズミはカメラを真正面に睨みつけ、いっさい原稿に目をやることなく「郵政民営化は改革の本丸」とだけいい、それ以外の政治の項目は一切触れることはなかった。フラシュモブが「萌える」には十分の説得力の名演技。たいしたもんだ。脱帽!

そして選挙は案の定、自民党の大勝ということに。コイズミの支持率は上がり、郵政民営化法案は可決された。この驚異的な大勝利に、今度はマスコミがこれを懸念する報道を流す。ファシズム化するのではないか?国民は愚民だ、一党独裁、コイズミヒトラーは好き勝手なことをやるのではないか…………。ご心配なく、これはフラッシュモブのいたずらなのだから。選挙の後、しばらくして政党支持率が調査された。すると、すべての党の支持率が下がっていた。え、じゃ、どこの支持率が上がったの?いうまでもなく、それは「支持政党なし」、そう無党派層である。しかも10ポイント近くも。

この10ポイント分?フラッシュモブの投票分じゃないの?そう、「郵政民営化」祭りが終わったのでフラッシュモブは解散(解体、消滅?)したのだ。だから、彼らは祭りを楽しんだのであって、自民党を支持したのでも政治を真剣に考えたのでもなんでもない。日の丸に涙し、君が代を大声で歌うサッカーの日本サポーターが右傾化することなどないように、この10ポイント分の投票者もまた政治的に右傾化することもない。祭りは終わったのだから。

結局、政治と関係のないところで票を集める方法をコイズミは考案したということになる。そんでもって、コイズミはマスメディアも民主党も、ついでに自民党までもみんな利用してしまったというわけだ。

テレビ・リテラシーを高めよう。でも結局、投票率は下がるのだが……
先日、某地方新聞社の報道が僕のところへやってきて、今回の衆院選でのメディア、とくに新聞の問題点について指摘してくれといってきた。その新聞記者が自戒を込めていうことには「マスメディアはコイズミに見事、してやられてしまった。これじゃあいかん。不偏不党・客観報道を旨としながらも、こういった政治以外のパフォーマンスみたいなことで選挙が左右されることがないように、新聞は啓蒙する必要がある。でどうすればいいんでしょ」ということだった。

僕は「コイズミが場外乱闘をやっているのだから、新聞が読者に教えるのは試合のルールではなくて、場外乱闘のルール」と応えておいた。つまりコイズミ劇場が伝えるストーリーに焦点を当てるようなこれまでの政治報道ではなく(もちろんこれも必要だが)、ストーリーの構成、演出のパターンを解説する。言い換えると演出=楽屋の作業を解説すること。コイズミ劇場を相対化し、慣れさせてしまえば、フラッシュモブ化は防げるというのが、僕の主張だ。これは要するに政治キャンペーンについてのメディアリテラシーを高めるということ。はやくコイズミのやり方に飽きさせることなのだ。

そうすれば結果として本来の政治課題であるその内容、つまりストーリーが政治議論のあるべき物として残る。ただし、それは無党派層が全く関心のないコンテンツののだけれど……結局、政治離れ、そして投票率の長期低落傾向は終わらない?

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